伊藤真さんを迎えて・・おもしろいほどよくわかる憲法の話

密かに準備されてきた「憲法改定」とその実体

2007年1月13日「伊藤塾塾長」伊藤真さんを迎え、憲法学習会を開催しました。
憲法改定への準備がすすめられている
安倍政権はこの7月に予定されている国政選挙の争点を憲法改定でおこなうという選挙方針を出し、党内議論が行われています。昨年末、各地でおこなわれた「やらせタウンミーテイング問題」に決着もつけないまま「あってはならない教育にはどめをかけるべき教育基本法」は改悪されました。いじめや虐待など子どもをめぐる事件があとを絶たないこの国の問題の本質に迫る議論も無く、単にこれからおこなおうとしている憲法改定の準備として必要だったからでしょうか?
その後防衛庁から防衛省への昇格は自民、公明、民主が賛成。防衛、軍事予算の拡大、権限の拡大が必至です。

改憲を進めたいのは誰か?
もっとも声高に言っているのは政治家たちなのではないでしょうか?それは憲法の本質的役割が権力に対する歯止めにあるからです。
政治家は市民から国の方向性の舵取りを付託され、決定するという大きな権力をもつものです。この権力から個人の尊厳を保障するべく憲法が存在しています。
自民党の新憲法草案では第十二条に「国民の責務」を新設し「自由及び権利には責任と義務が伴う」としています。権利と義務はどんな時も一対ではないのに、あたかも義務が生じることを正当化しています。
また現憲法では「公共の福祉のために・・」が「公益及び公の秩序に反しないよう・・」という一文に変えられようとしています。これは国民の利益のためにという主旨が国益=国のために・・という内容になることを意味しています。
このセットが、すなわち「公共の福祉」を「公益および公の秩序」に変えることがあらゆる場面でおこなわれようとしています。
新憲法は個人の尊重ではなく国益を優先し、国民に対し、国益が損なわれる時は義務が伴うことがあるとしているのです。
この改憲が再び戦場に若者を、子どもたちを送りこむべき何者でもないことはこのことで誰にでもよ〜く分かります。

第2章は「戦争の放棄」から「安全保障」に?
新憲法では「自衛軍」を新設し「国及び国民の安全確保・・」としていますが、そもそも軍隊とは国家と軍を守るのであり決して国民を守るのでは無いことが明白です。国際協調の名において正義を振りかざした戦争に出撃することも意味します。しかしアメリカのイラク派兵でも明らかなように、真の平和は武力により解決は出来ません。

政治家とは誰のために何を実現する者たちなのか、この新憲法草案を見ているとふつふつと怒りがこみ上げてきます。
権力の座に着いた者が個人の尊厳をことごとく無視し、「美しい国」をつくるという。なんと空虚に響く言葉か。

私たちは今こそ現憲法を学び、実践する必要があります。憲法の本質を理解し、私たちの暮らしの根幹に関わる考え方・方向性を示す憲法として自分に引き寄せて考え、改憲に対しきっぱりNO!と声をあげましょう。
(写真は日本国憲法の原典)