第25回共同連全国大会in箕面に参加して

障害がある人もない人も、一人ひとりが主人公としてまちを耕す

9月20〜21日、今年は箕面市で第25回共同連全国大会が開催され、全国から障がい者も健常者も約300人以上が集まった。共同連は障がい者と共に働く場づくりを地域で展開してきたが、昨年からそれ自体を社会的事業所づくりと位置づけ、福祉・障がい者という概念より、もっと広く労働を通した一人ひとりの社会参加として位置づけ、発信している。

今年も大テーマを社会的事業所づくりとし、基調講演は「みのおの障害者運動、じんけんの歴史とこれから」と題し、河野秀忠さん(前・豊能障害者労働センター代表)がおこなった。
 1942年大阪市生まれの河野さんの反戦、部落解放、沖縄問題と障害者との出会いから、70年代の優生保護法改悪阻止運動、養護学校就学義務化から、障害者の自立生活運動につながる流れを具体的な出来事を交え、話された。

当時、優生保護法改悪や就学児健診は障害者差別につながることとして、私たちの身近にも勉強会があったことを思い出す。河野さんは、はっきり障害者差別の根拠法であることを指摘した。

70年代といえばすでにイタリアではバザーリアという精神病院院長が、患者の意思を尊重し、健康のためには病院を出てまちで暮らすことを実践し始めた。その後78年には、施設型精神病院解体を一斉におこなう法律がつくられる。日本とイタリアの障害者をめぐる状況は、この時点でその向いている方向性に大きな違いがある。(詳しくは東京・生活クラブ運動グループ福祉協議会http://homepage2.nifty.com/hukusi-kyougikai/
「イタリア社会協同組合B型をたずねて」をご覧下さい)

河野さんの話は続く。家から出て一人で生活を!として自立生活が始まったが、社会経験の乏しさでだまされたり、朝から電話にかじりつき介護者をひたすら探す毎日が続き、「自分たちの自立に意味があるのか?」という自問の日が続いたという。この経験からもっと地域に根付くことが必用ということに気がつき、障がい者が地域で生活するためには「地域生活を耕す」ことが何より必用だという。今まで障害者を福祉の概念で受け止めようと
してきたが、地域の一員として労働で参加することが必用だと気づき、現在に至る。

豊能障がい者労働センターは26年目に入るが、現在5つのリサイクル店、デザインTシャツ販売、機関紙発行など広報事業をおこない56人の職員のうち22人が障がい者である。

この間、箕面市では「みのお人権宣言」を掲げている。以下は河野さんが会場で読み上げたその全文。
「わたしたち、みのお市民は、みどり豊かなわたしたちの街をこよなく愛しています。この街に住み、この街で暮らすすべての市民がだれひとりとして「人権」を踏みにじられ、涙をこぼすことがあってはならないと願っています。わたしたちはそのために、引きも切らずに続く「にんげんを否定する」ことがらに、しっかりと向き合いそれをなくすために行動したいと考えています。このように、愛すること、願うこと、考えること、行動することは、みのお市民のたからかな誇りです。わたしのために・あなたのために・みんなのために、にんげんの街みのおを育てます。日本国憲法のこころ、市民の風で、ここ箕面市を「人権の街」として宣言します。」

小学生でも分かるであろう文章が採択され、簡潔で明快。この間の河野さんたちの障害者就労の道を開いてきた活動とリンクするものとして心に染み渡った。

(写真上は会場入口で物品販売をする共同連メンバー)
(写真下は箕面市グリーンホールに集まった人々。豊能障害者労働センター運営のリサイクルショップ「ふだんぎや」)